先週土日月曜日を使って大阪に遊びに行っていた。目的はもちろん大阪・関西万博。万博には土日の2日間(正確には土曜夕方から1.5日間)訪れた。
予習せずに行き当たりばったりではあったがとても充実した時間で、現在絶賛万博ロス状態である。こんな気持ちになるなんて、大阪へ行く前はまったく想像もしていなかった。特にオリンピックはじめ国際的行事にほぼ興味がない自分だ。たったの2日、閉幕直前に駆け込んだだけなのにこの喪失感、一体なぜだろうと考察しがてら、万博の三大お気に入りポイントを挙げてみる。
1. 壮大な大屋根リング
開幕前から直後はメディアで大バッシングを受けていた大屋根リングだが、、ひとたび目の当たりにすると、凄い建築だなあ、、とただただ圧倒されていた。その巨大な円の構造は、下を歩きながら規則正しく木組みされた骨格の美しさを楽しむもよし、上を歩きながら都市のように豪華なパビリオン群や遠景のビル群を楽しむもよし、雨が降ればすぐにでも大屋根にもぐれる安心感もある。底知れぬ包容力。この建築物を見に来れただけで、ここに来た甲斐があったと感じたし、なんならパビリオンを巡らずとも歩いているだけで十分満足感を味わえた。


2. 場内を満たすミャクミャク愛
発表当初は物議を醸した万博キャラクター、ミャクミャクだが、、会場に着いてみるとそこらかしこにミャクミャクのグッズを身に纏っている人ばかり。それもヘアゴムから巨大なぬいぐるみまで、ありとあらゆるバリエーションに富んでいた。初日の手荷物検査街の大行列に並んだ時、目の前の方がミャクミャクの法被を着込んでいて、全身から万博愛溢れるその姿に感化され、筆者も万博スイッチがオンになったとあとから振り返って思った。初日グッズ売り場が行列でなかなか買い求めることはできなかったが、2日目は大雨の中空いている売り場でワッペンを買うことができた。これをつけて大屋根リングを歩くのがまた楽しく。


大阪から家に戻り、最終日のドローンショーを中継で見守っていたのだが、ミャクミャクのサプライズ登場と、最後のメッセージを残して解けていく演出に、切なさが込み上げて思わず涙ぐんでしまった。
時を戻すと、発表時にミャクミャクが公式キャラクターに決まった時、第一印象「キモい」と思う反面、心底嬉しかったことを思い出す。賛否両論分かれるキャラクターデザインは決して「王道」ではなかったはずだが、リスクある決断だからこそ、大阪万博のテーマに対する固い信念を感じ、心からワクワクしたのだった。
’70年万博の象徴のひとつが「太陽の塔」であることは言うまでもない。では今回のアイコンはなんだろう?と考えた時、大屋根リングは当然だとしても、すでに取り壊しは決まっている。一方で無形だからこそ、ミャクミャクという奇妙な生命体が未来に受け継がれていくんではなかろうかと、ひそかに期待している。

3. 熱量あふれる人々
閉幕直前というのもあってか一層大勢の人で賑わっていた。さらに2日目は強い雨も降ったので、全員が傘を差すと見通しが皆無で、自分がいったいどこにいてどこに向かっているかも分からないほどだった。しかしこの大勢の、それも国内外隔てず、熱気あふれた人々と万博という体験を共有できたことに価値があったと思っている。行きの中央線で流れる車内アナウンス「いよいよ夢洲です!」からのコブクロに、乗客がわあっと色めきだったり、花火や水上ショーで歓声や拍手があがったりして、万博という空間を共に味わっている一体感を随所に感じられた。帰りの中央線に向かう大行列ですら、途方も無い疲労感に苛まれながらも、万博のサウンドスケープに彩られてひとつのコンテンツと化していた。この一連の熱狂とカオスから現実に戻ると、どこかほっとすると同時に寂しさも覚えるのだった。
そもそもこれだけの大人数が、晴れだろうと雨だろうと自由意志でめいめい動き回っているのに、大きな事故なく平常運営していることに奇跡を感じたし、それを支えている運営や警護にあたるスタッフの方々には頭が上がらない思いだった。

などなど、、雑多に書き綴ってみた。パビリオンはオーストラリア、フランス、三菱未来館を巡った。三菱未来館での日本特殊陶業による、デジタルアバターと同期したダンスパフォーマンスが素晴らしかった。唯一事前に目をつけていた落合陽一氏のヌルヌルは外から眺めただけだったが、銀の壁面がぶるぶると振動し、周囲の景色を歪める異様さは一見の価値ありだった。
閉幕前日に行われたBIEの式典は全編通してとても見応えあった。地元高校のダンス部や生花部?によるパフォーマンスは美しく、そのセクションの最後に突然のミャクミャク登場で会場は大歓喜。次回会場であるサウジアラビアからも伝統楽器の演奏も。式典終了後、うしろを吉村知事が会場に手を振りながら退出していくというサプライズもあった。


ちなみに翌月曜日は万博公園に行った。昨日火曜日は有給取って、旅の疲れを癒すと共に、膨大な写真を振り返りながら万博の思い出を噛み締めていた。





